- 粘膜疾患の微生物学的研究
細菌性胃潰瘍の発生機序を解明するために、胃粘膜疾患病原因子のひとつであるHelicobacter pyloriのコファクター(ウイルス)が存在するとの仮説のもと、微生物学的に研究している。
- 細菌のナノトランスポーテーション・システムに関する研究
『ナノトランスポーテーション・システム』とは、「細菌菌体の外部環境の変化によって調節される菌体内の物質輸送システム」のことです。この言葉が耳慣れないのは、当教室で新たに確立された概念だからです。「細菌は1マイクロメーター前後の単細胞生物ですが、小さくともその中に代謝に関わる分子や毒素分子を運ぶ原始的な機構をもっていてもおかしくない。」という発想から研究が始まりました。
先ずは『ナノトランスポーテーション・システム』の存在を証明する方法(免疫電子顕微鏡コントラスト増強)を米国の生理学者サックス先生と共同で新技術を開発しました。
ヘリコバクターという細菌は胃炎や胃潰瘍など胃粘膜疾患の原因のひとつです。通常、胃内は酸性で病原微生物が定着するには過酷な条件であると考えられていましたが、WarrenとMarshalが胃粘膜疾患の病原菌として胃内にこの細菌を発見し、その後この細菌が産生する毒素が病原因子ではないかと考えられるようになりました。ヘリコバクターの発見で彼らがノーベル賞を受賞したことは記憶に新しいところです。
私たちは新たに開発した技術でヘリコバクターの代謝に関わる分子を詳細に観察し、菌体外部環境が酸性になると『ナノトランスポーテーション・システム』が作動し、菌体の中央部から辺縁部に向けて分子が移動することを確かめ、外部環境の変化を察知する分子を同定することができました。また、続けてヘリコバクターの毒素分子も同様のシステムで輸送されることが明らかになりました。現在少なくとも2つのシステムがヘリコバクターに存在することを証明し、それらの詳細を解析中です。胃酸分泌抑制剤が用いられる以前、経験的に胃粘膜疾患の治療に重曹が用いられていました。重曹はもしかすると、ヘリコバクターのナノトランスポーテーション・システムを制御することによって毒素分泌を抑制していたのかもしれないと考えると、少なからず興奮を覚えます。
次に取り組んだのはO1(オー・ワン)コレラ菌です。日本ではコレラは過去の病気のように感じられていますが、地球規模でみれば1961年にはじまった第7次コレラパンデミックは終息の兆しはありません。しかも、病原性の強いコレラ菌O139ベンガルが徐々に広がりつつあり、第8次コレラパンデミックを予感させる状況があります。又、日本国内の一部の湾内に毒素遺伝子をもたない(非病原性)のO1コレラ菌が常在していることから、条件が整えば、毒素遺伝子をもつコレラ菌が日本にも定着する可能性があるのではないかと考える人もいます。
さて、私たちがもった疑問は「なぜ、胃酸分泌抑制状態のコレラ患者は重症化するのか?」というものでした。この漠然とした疑問を具体的にするために、「O1コレラ菌は菌体外の環境がアルカリ性になるとコレラ毒素の輸送が亢進して毒素分泌が増加するのではないか」と考えました。ヘリコバクターの研究で使ったのと同様の方法で研究し、コレラ毒素の菌体内輸送をつかさどるナノトランスポーテーション・システムが存在し、それは菌体外がアルカリ性になることによって作動することを明らかにしました。この研究成果から、小腸内のpHを制御することによって、コレラ患者の症状を軽減できるかもしれないと考えています。
- New 細菌を解剖する
病原細菌の構造に関する教科書の記載は、細胞壁や夾膜、繊毛、鞭毛など細菌の表面付近に限られており、「細菌の細胞質内にはリボゾームなどの顆粒があり、その中央部には核酸があると考えられる」という程度です。
最近になって、細菌の菌体内に生体線維に相当するタンパク質が存在することが明らかにされ、太いバンドの様ならせん構造を形成して細胞壁を支えているのではないかと想像されるにとどまっています。
私たちの研究室では、細菌の内部に存在する病原因子の局在を免疫電子顕微鏡法で観察していますが、同種の病原因子が線状に整列することを経験的に認識していました。その認識から、毒素が線維に沿って細菌の細胞内を移動し、分泌されるのではないかと想像してきました。しかし、細菌の内部に細かな線維が存在することを直接示した研究はなく、想像の域を出るものではありませんでした。
真核細胞にはその細胞を支える繊維状構造物のネットワークが認められ、それらの役割が明確になってきています。真核細胞が細菌の様な原核細胞から進化したとするなら、原核細胞に真核細胞の繊維状構造物の原形となるものが存在するのではないかと考え、今までに撮影した細菌の電子顕微鏡写真をみなおし、顆粒がぎっしり詰まった細菌細胞内にわずかに線維ではないかと思われる構造物が存在することを発見しました。また、過去に失敗したと考えていた実験で撮影した細菌の電子顕微鏡写真にも繊維状の構造物が認められることが分かりました。
そこで、失敗した実験の内容を解析して、細菌を凍結することによって細胞内の顆粒を取り除く方法を考案し、顆粒を取り除いた部分に繊維状構造物のネットワークを明瞭に観察することに成功しました。日立製作所の協力で、電子顕微鏡トモグラフィーという方法で画像を立体化することもでき、細菌細胞内には繊維状構造物のネットワークが縦横に張巡らされていることを世界で初めて示しました。振り返ってみれば、この繊維状構造物は今までにも見えていたのですが、気づかなかっただけですので、新発見と言えるのかどうかは分かりませんが、このような先端技術を使って可視化した意義は大きいものです。
このような繊維状構造物のネットワークは生命の誕生にも関係しているように感じます。もし、生命が液体の中で生まれたとして、均一な液体中で生命をつかさどる様々な分子が反応するのは効率が悪いと考えられます。まず、何らかの繊維状構造物が生成し、それが絡み合って網状構造物を形成し、その網状構造物の中にマイクロあるいはナノの環境(microsphere/nanosphere)が出来上がり、その中あるいは表面で生命に関わる化学反応が起こったのではないか。そんなことを想像しながら、この繊維状構造物と細菌細胞内での病原因子の輸送について研究を進め、細菌が毒素を分泌できなくする方法を発見するきっかけにしたいと考えています。
- 微生物の形態・局在に関する超微形態学
各地の研究機関に協力する形で、電子顕微鏡を用いてウイルスの増殖過程やその形態形成過程に関する研究を行っています。